治療を続けない(3) – カウンセリングを勝手に中断する

カウンセリングは何のために受けるのか

人はそれぞれ何らかの悩みを抱え、それを解決したい、治したい、緩和したいなどと思いながら過ごしています。それでも前に進んで行ければいいのですが、時として重たく感じ、一人では支えきれないようになった時、初めてカウンセリングの必要性を感じるのです。

カウンセリングの目的

からだの問題は、処方箋で出した薬や鎮静剤などで頭痛や腹痛を治すようにスッキリと解決できるのですが、こころは、解決方法が一つとは限りませんし、どう生きていくのか迷うこともあるのです。カウンセリングを受けることによって、悩みを整理・自覚できると具体的選択の幅が広がり、自ずと解決方法が見えてきます。カウンセラーはこういった心の状況を正確に「知る」選択を援助します。

側面からのサポートとは

あなたが職場での悩みや問題点を出し、こんなに苦しんでいることを分かってくれるなら、職場の上司に言って欲しいと思うこともあります。側面からのサポートはそこまでなのです。仮にカウンセラーが出たとするとあなたにとっては良いカウンセラーかも知れません。でも、その場は凌げても根本的にはあなた自身が問題を解決する姿勢は強化されていないのです。そればかりか依存の姿勢が強化されることになります。

自分で見切りをつける

あなたからすると、あの先生は非常に親切そうに話を聴いてくれるが、本当は親切ではないのだ。本当に親切なら上司のところへ行ってくれるはずだ、と思うことでしょう。そして、話を聴いてくれるだけで何もしてくれないような先生のところへは、行っても仕方がないと思い、行かなくなるのです。

温かくて厳しい関係

カウンセラーはあなたの欠点や痛いところに触れるわけですが、触れることによって新しいものが生じてくる。あるいは、それを乗り越えて何かよいものが出てくるのだという方向を目指して、痛いところに触れている場合は、温かさを感じるものです。共に痛さを共有することが温かさにつながるのではないでしょうか。ところが、それがなくてカウンセリングは厳しいものだ、とあなたの痛いところをつくだけでは、温かさが欠け中断につながります。

「話すことはない」というタイプ

カウンセリングルームには「上司に言われてきたが、話すことはない」「部下に勧めるため、どんなところか視察に来た」「何の問題もないが体験に来た」といったタイプの方が来られることがよくあります。「ふーん。こんなとこか。」と最初は壁を作ったり、無関心を装っているのですが、世間話をしているうちにいろいろと自分の悩みを話されることがあります。

それでいいのです

あっという間に1時間が過ぎてしまいます。<話してみてどうでしたか?>とお聞きすると「なんだかスッキリした」と言われる方が多くおられます。「でも、もう十分や」と言って出て行かれます。これもまさに中断です。でもそれはそれでいいのかもしれません。今はそいう時ではないのかも知れません。ただ、誰かに真剣に話を聴いてもらったという体験は有意義だったのではないでしょうか。

カウンセリングを中断する前に

カウンセリングを受けることで大きな問題が解決した。聴いてくれるだけで助けてくれない。お金がかかるので続けられない。時間的に余裕がなくなってきた。等いろいろな理由があると思います。前兆として遅刻やすっぽかしが出てきます。例え精神的に元気を取り戻しても「つぶき?」はとても大事なことです。ひとりで悩んでいたことに対して、一緒に悩んでくれる人がいる。この「自分のことに一緒に悩んでくれる人がいるんだ!」という存在がとても大事なのです。ですから、中断したくなった時は素直にその気持ちを相談してみてはいかがでしょうか。

カウンセリングはいつになったら終わるのか?

カウンセリングを続けることにより、心理的・情緒的安定が得られて、心理的問題の解決、すなわち症状の消失や対人関係問題の解決、自己理解・自己受容の深まりが見られ、そしてクライエントの現実の生活上で望ましい行動の変化や成長が表れるとそろそろ終わりではないでしょうか。