奥元勝久

私が「本格的にカウンセリングを学びたい」と決意したのは、離婚・失業・うつの三重苦の中でもがいている時でした。

(NPO法人カウンセリングサポートナウの理念は「カウンセラーたちの”聴く力”で地域社会に貢献を」であり、その活動はカウンセリングをベースにしています。)

 

私は工業高校卒業後、大手食品会社の工場に就職しました。所謂バブル時代で、それなりに楽しく働いていましたが、夜勤などの環境が合わず次第に睡眠障害、激しい腰痛に悩まされるようになり、11年勤続して退職に至りました。環境だけではなく元々感じている生き辛さや人間関係のしんどさも影響しているだろうことは想像できたので、この頃からカウンセリングや心理学に興味を持つようになっていました。

 

次に選んだ仕事は整体師でした。転職後3.5年で「おくもと整体院」を開業しました。開業と同時に(元)妻との間に初めての子を授かりました。今でも振り返ると、私の人生で最も充実した頃であったと思えます。自分の思い描く仕事(夢)と家庭の両方を手にしていたからです。しかし、「おくもと整体院」は4年で幕を閉じることになりました。うつ(症状)でしばらくは働けない状態でしたし、離婚して実家に戻る選択をしました。

そこに至る道程はここでは書ききれません。すべてを失った気持ちでしたので、非常にしんどい思いの中、原因を他者に求めても自分の人生は開かないと思いました。自分の家族を、仕事を、「おくもと整体院」を頼る者を守れなかった、何より自分の幸せを守れなかった。もう、二度とこんな思いはしたくない!では、どうするのかと考えました。

 

「(自分が)大切に思う人を、ちゃんと大切にできる自分になりたい。大切に思う人と、ちゃんと関係の築ける自分になりたい。大切に思う人の話を、ちゃんと聴ける自分になりたい。」と強く思いました。心から思いました。

その時です。本格的にカウンセリングを学びたいと思ったのは。

 

私が人生のどん底と言える時期にせっせと通ったのは「エンカウンターグループ(自由な話し合いの場)」でした。グループで他者と交流し、自分と向き合う過程は時に癒しとなり、時に辛い場でした。そこで学んだのは、良い人間関係を築くコミュニケーションを身につけるには、自分を深く知ること(自己理解)に他ならないということでした。自分の見たくないもの、避けて来たところを見つめる作業は、痛みを伴います。しかし、その先に気づきがあり成長につながることを身体で知ることができれば、そこに喜びがあることを知れば必要以上に怖いことではなくなって来ます。

 

ご縁があって、NPO法人カウンセリングサポートナウに所属し、SAVEプログラムにも参加させて頂いています。私の得意分野はキャリアを入口としてその枠に捉われないカウンセリングと、コミュニケーション系のセミナーです。キャリア・カウンセラーとしてクライエントとのかかわりの中で学んで来たことも多く、失敗も含めて活かさせて頂いています。

私は、自分の経験を踏まえて「人生に無駄なことはない」と自信を持って言えます。

もがいていて、何か手助けを求めていて、でもどこに手をのばせばいいのかわからないという方は、一度NPOカウンセリングサポートナウの扉をたたいてみてください。

何ができるのか、正直に言って一口にはお答えできません。しかし、自分の足で立とう、今一度立ち上がろうとしている方を全身全霊でサポートいたします。何かしらお力になれた時、それが私たちの無上の喜びでもありますから。